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ケルティック・ハープで伝承曲を演奏しています。最近は、路上や公園のベンチでのんびり弾くことも多くなりました。
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プロフィール

HN:
こと座
年齢:
56
性別:
女性
誕生日:
1969/03/07
職業:
ケルティックハープ奏者
趣味:
旅、読書、祭り
自己紹介:
ケルティックハープで、ケルト民族の伝承曲を中心に演奏活動を行っています。

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前回、家族を含む他人との接触に障害があると書いたが、
恋愛経験がないわけではない。
ただし、いずれも長続きするようなものではなかったし、
世間に認められるようなものでもなく、今や恋愛に夢は持っていない。
他人の言葉をそのままに受け止めるアスペルガーの人が遭遇しがちな、
異性にまんまと騙される(詐欺に遭うなど)経験がほとんどだったので、
また間違ってしまうかもしれないという恐怖感と、相手がもしも誠実な人
なら確実に自分の言動で混乱させるに違いないというあきらめがある。

今までの人生で、たった一人だけ自然に心が通じ合えた人は、小学校
で友達になったシゲだけだ。
たった一年同じクラスになっただけで転校してしまった彼女だけれど、
どうやって友達になったのか全く覚えていないほど自然に一緒にいる
ようになり、毎日のように遊んでいた。
両親は共働きで、親の留守中に友達を家に入れてはいけないという
母の云い付けをきょうだいの中で私だけは忠実に守っていた。
それで、シゲとは公園で遊ぶか、シゲの家に時々遊びに行くかという
パターンで一緒にいたが、友人の家に行くといつも驚かされるように
シゲの家でも彼女が母親と親しげに話す姿や家の中のゆるい空気を
意外に感じさせられた。
私の家の空気はいつも張り詰めていて、一触即発で怒声や家具や食器
が飛び交い、一瞬後には自分が殴られるか蹴られるかしてうずくまっている
可能性が99.9%の確率というのが当たり前のことだった。
家庭というのは、そういうものだと思っていた。

シゲと手をつないだことがあったかどうかは覚えていないが、そんな風に
体を接触しなくてもいつも気持ちが簡単に通じ合えたし、喧嘩をしたことも
なかった。
言葉の意味に厳密さを求めてしまう性質の私は、「親友」という言葉の
定義付けをできる人間関係を指定したことがなかったけれど、シゲだけは
親友だったと思う。
彼女が引っ越した先は、世田谷区。後で考えてみたらそれほど遠くない
距離だったが、小学生の当時は親に遊びに行くのを止められた。
そして、何通か手紙をやりとりした後は、交信が途絶えてしまった。

前世がどうとかいうつながりのことについては、私はあまり信じていないけれど、
魂が通じ合うという意味では彼女とはソウルメイトだったと表現してもいいのかも
しれない。
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20代後半になるまで、他人と握手をするのが無性に嫌だった。
物心ついたときには、家族と手をつなぐのも本当は好きでないことに気が付いて、
なぜ友達や家族の体に触れるのが(というよりは、自分の体に触れられるのが)
嫌なのだろうかとよく考えた。
美容師に髪を触られるのも嫌だったので、長い間自分で髪を切っていた。
他人に触れられると、相手の感情が伝わるような気がしていた。
家族同士、友達同士だと自分が飲食している物を気軽にすすめる人がいるが、
私にはそれも受け付けられなかった。食器を変えても駄目で、それは未だに
少々抵抗が残る行動の一つだ。

ただ、同じ食べ物を分け合ったり、気軽に体に触れ合ったりする人達のことは
うらやましかった。
自然に体に触れたり、自然な気安い言葉で応答し合える普通の人達に私も
なりたかった。
私から出てくる言葉は、ほとんど全て頭の中で考えて一呼吸置いてから出された
ものだ。間違いがないかどうか頭の中でまとめて確認できないと、言葉が出てこない。
他人から話しかけられたとき、私は見かけより苦労して言葉を搾り出している。
それほど考えあぐねても、私の言うことは大概突飛で、変わり者と評価された。

ハープであくせく稼ぎそうになってしまうのをやめようと決めたので、
少し気が楽になってきました。
1~2年くらいの長期的展望も考えられるようになったので、ケルトの
伝承曲のアルバムをハープで作ろうかと計画中です。

私はよくエアー(Air)のメロディーを弾くので、歌詞や曲の由来などを
CDに入れたいんだけれど、解説書を4ページ以上にすると印刷代が
高い。
それで、解説文の代わりにナレーションを入れたらどうかなと思って
いますが、同じ方法でアルバムを制作している方はいらっしゃるでしょうか。
ナレーションは私の声じゃあんまりなので専門の方に依頼するつもり
でいるんですけど、曲の前にいちいちナレーションで解説されるんじゃ
うるさいかなぁと悩み中です。

ともあれ、秋口までに一枚目が出来上がったらいいなと楽しみにしています。
って、作るのは私なので大変なんですけど。

他人が話す言葉や文章を理解しようとするとき、殆どの場合困難が生じる。
このことは教育を受けている間に限らず、社会で働き始めてから一層問題となった。

小学校に入学して間もなく、昔堅気の初老の女先生に教室で平手打ちをされた。
宿題を多くやりすぎたからというのが、叩かれた理由だった。
人の話を聞いていないというわけだ。クラスメイト全員の前で壇上に立たされて叩かれ、
体の小さかった私は卒倒して一瞬意識を失った。
そのときは宿題を少し多めにやって誉められたい思いがあったので、必要以上に課題
をこなしたのだと覚えている。しかし、他人の意図が汲み取れない機能障害と考えると
誉められたい以上に自分の関心事に熱中しすぎたのかもしれない。
質問に答えられずにいつまでも立たされたりすることは、中学・高校時代まで続いた。
途中で何を質問されていたかすら忘れてしまい、そうなると意識が遠くに飛んでしまって
机の木目をじっと見つめて考えることを止めてしまうのだ。
普通の人と同じように説得しようとしても、私には効果がないのにという思いだけが時折
浮かぶ。何を考えているのかサッパリわからない生徒というのが、多くの教師の評価
だったろうと思う。

高校一年のとき、どういう経緯でか忘れたが、私の財布をある教師が預かって私の担任
へと届けたということがあった。担任は私に「(届けてくれた教師に)あいさつしておいて」
と告げた。私は財布を担任に届けてくれた教師のところへ行った。われながら信じがたい
が、そのときしなければならない挨拶の意味がわかっていなかった。
それで、「担任にあいさつをしてくるように言われたので、来ました。」と告げたのだが、
急にそんなことを言われた教師は「はてな?」と思うはずだ。担任が慌てて、財布を届けて
くれたお礼を言ってという意味だったんだよと知らせてくれ、私もハッとしたが遅かった。
一般的に通例とされる会話や言葉が、私には通じない。具体的に簡潔にわかりやすく
伝えなければ理解しあえない者と苦労を繰り返してつきあっても、相手はそれほど自分に
関心を持ってくれない、という人間関係を普通の人は続けようと思わない。それで、私には
何年も交際を続けてこられたような知り合いは一人もいない。

眠りが浅く、寝つきが悪かった私は、ほんのわずかな物音や口論が耳に入った途端に
バッチリ目が冴えた。
そこからはその音について、1時間も2時間も眠れずに考えた。
父親は酒飲みで常に浮気を繰り返していたので夜の帰宅が遅く、たまに家にいても
子供達の前で母親の髪をつかんで何度も何度もテーブルに叩きつけるような人だった。
夜中に父が帰宅して母との罵り合いが始まり、耳を凝らして心臓をドキドキさせて横に
なっていると、口論がエスカレートして何かを叩きつける音が聞こえるので、耐えられず
に2人の争う階下に下りていくのが毎晩の行事だった。姉は一度だけ、泣き叫ぶ私を
なぐさめに下りてきたことがあるが、弟はいちども仲裁に入ろうとしなかった。聞き逃す
能力が人並みにあったのかもしれない。

そんな風に眠れない夜に限ってのことではないが、何の前触れもなく意識が何かに
さらわれそうになるときがあった。頭の中であるときはクリーム色にかたまって、ある
ときは灰色にかたまって私の意識のほうにするすると近づいてきて、私を飲みこもうと
するので、それが近づいてくるのが怖かった。けれど、それからは逃げられないことも
わかっていたので、最後は完全に飲みこまれるのを待って飲み込まれてからは脱力感
に陥った。自分の意識がどこかに行ってしまうのだ。
それは20代半ばまで続き、あるとき気づいたら起こらなくなっていたが、この数年また
起こり出すようになった。茫然としてしまい、何も手に付かなくなるので、それがやって
くるのは辛い。
プレハブの仮設事務所から神妙な面持ちで表に出て、暫しその場に立ち尽くす母子。
この場面の記憶が私の印象に強く残っていて、不思議だった。
立ち尽くしたのは、10秒にも満たない時間だったように思える。
しかし、母にはもっと長い瞬間に思えたに違いないと今は確信している。
そのとき私が考えていたのは、自分が何か失敗を犯し、母を失望させたのだろうという
ことだった。
私は、4歳。そのプレハブの仮設事務所では、翌年近所に開園する予定のキリスト教の
教えを説く幼稚園の面接試験が行われていたと後に教えられたことで、事務所内での
シーンも思い出すことになった。
私立幼稚園の面接試験とはいえ、質問されるのはごく簡単な普通の子供なら即答できる
ようなことだっただろう。私は何を聞かれても、ウンともスンとも答えなかったらしい。首を
振ることもせず、面接官はコミュニケーション能力に欠ける子供と判断し、うちではお預かり
しかねますとの試験結果を下した。
面接官に何か聞かれて、非常に困ったことをよく覚えている。質問の内容が何であったか
も忘れてしまうほど、自分の目の前に座っている人達が自分にどう答えてほしいのかを
考え続けた。そして、面接官に出した答えによって母がどう思うか、悩み苦しんで頭の中
が真っ白になった。4歳の子供が、話し相手の望む答えを意識して自分の中から導き出せ
るだろうか。できるかどうかはともかく、自分が人に対してどう振舞うべきかを常に考えな
ければ動けない脳を持つ子供が私だった。
私もついに、チューニング・メーターを使って調弦をすることになり
ました。
調弦が難しいハープをライブで使うことにしたからです。
小学生の頃にヴァイオリンの先生から音叉を贈られて以来、音叉
一本でチューニングをしてきたのですが、チューニング・メーターを
使ってみたらあまりにも調弦が楽で驚きました。
思わず一人で拍手
ゲーム感覚で音合わせできるので、くせになりそうな面白さです。
ただ、いつもこれだけでチューニングしていると機械に頼りすぎて
正しい音階は体にしみこまないかも...という気が。
とはいえ、少なくとも20弦以上の弦を一度にチューニングしなけれ
ばならないハープなので、手に汗かきながら調弦に泣かされた
時間を思うと大変助かる機械です。

問題は、わずかにだけどチューニングして数秒後にピッチが下がる
こと。これは、楽器がまだ新しいからかなー...。
あと、弦のはじき方によって針の振れ具合が微妙に違ったり、残
響音も当然拾って針が振れるのが気になります。神経質になり
すぎても切りがないんですけど。

メーターに付いているマイクが楽器以外の音もある程度拾うので、
好奇心で自分の声の音程を測ってみたら、B♭でした。どのB♭
かは内緒です。すごい機械だなぁ。
因みに、私が使っているチューニング・メーターはKORGの安い
クロマティック・チューナーです。

ここはホントはハープの歴史なんかを書く予定でいたんだけど、
こんなしょうもない話で始まって恐縮です

ハープをやっているというと、ほとんどの人はクラシック音楽で
演奏されるコンサートハープ(グランドハープとかペダルハープ
とも呼ばれます)を想像するようですが、私がやっているハープ
はケルティックハープまたはアイリッシュハープと呼ばれるノン
ペダル(ペダルのない)比較的小型のハープです。コンサート
ハープと異なる点は、足で操作して全音と半音を弾き分けるこ
とのできるペダルが付いていないところです。ただし、ケルティ
ックハープにはシャーピングレバーという半音切り替え可能な
レバーを付けることができ、このレバーがあるとハ長調以外の
曲も弾けます。
ハープを買おうと思ったら、大体メーカーに注文して自分のハー
プを作ってもらうことになります。そのときシャーピングレバーを
付けるか付けないかで値段が結構変わってきます。そして、
もう一つ高い値段を取られるのが楽器を入れるケースです。
通常持ち運びをする際にはソフトケースを使いますが、ソフトケー
スですら2万円は下らないという高値のケースなので、ハープの
所有台数分そろえるのも大変です。2万円って書いてみるとそれ
ほど高くもないかなと思えてきますが、それだけあったら楽器を
グレードアップしたいと思うのが音楽家の人情です。

実は今月末のライブに急きょ使うことにしたハープがあって、それ
にはケースがないので自分で縫っています。ミシンがないので、
手縫い...
前々からそのための布地を用意しておいたのですが、強度と耐
寒性と汚れが目立ちにくいの3つを兼ね備えていると思われる
布地を選んでいたら、柄が妙なのになってしまいました。「東京
浅草」とか「ニ番組」とか「千社札」とかが前面にプリントされてい
るもので、外で持っていたら絶対人目を惹きそうな柄。今更なが
ら、なぜこんな柄にしてしまったのか混乱します。市販の黒い
ケースを抱えているだけで新種の武器でも持ってるんじゃないか
という目で見られて駅なんかで警戒されるのに、今度は違った
目で注目を浴びそうで気が重いです
布地の裏にはスポンジを入れてクッションにしてるんですけど、
クッション材はあってもなくてもぶつかれば楽器のダメージにつな
がりやすいので、他人になるべく迷惑をかけないようにしつつ
気安くぶつかられないようにするのが一苦労で、これは楽器を
やる者の悲しい宿命ですね。

ケースを縫うのに使っている糸は、その名も「つよい糸」。
「糸は親と子の心の絆(きずな)」と書いてあります。長持ちしてく
れればいいけど。
 
 ↓こんな柄のケースを持ち歩くのは気が重い

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 ↓無関係だけど、冬の思い出 雪合戦場
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18年前に、大井町に住んでいたことがあります。

引っ越してしまったきり大井町をのんびり歩く機会もありませんで

したが、今回大井町から歩いても行ける池上を訪問。

サロン・コンサートで演奏しました。

1月の話ですけど。

演奏した曲は、実はアイリッシュでもなく、ほぼクラシック。

ヘンデルのオペラ『リナルド(RINALDO)』から、人気のアリア

『私を泣かせてください』や、プッチーニの『ジャンニ・スキッキ』

から『私のお父さん』など、なぜかオペラのアリアを多く演奏。

ハープの既製アレンジ譜も持っていなくて、とってもシンプルに

弾きました。こういう曲は、やはりコンサート・ハープ(ペダル付)

で弾くと華やかになるのでしょうねー。

そうそう、これは完全に自分の趣味で、カタラーニのオペラ

『ワリー』から『さようなら ふるさとの家よ』も弾きました。

またいつか弾くときがくるなら、もっとアレンジしたハープ音楽に

して演奏したいです。


私が住んでいた頃、大井町には古い映画館がありましたが、

もうなくなってしまったでしょうか。

その映画館には、大井町に住む何年も前の中学生時代に制服

で寄って何か観たけど、映画のタイトルは忘れてしまいました。

普通の名画座だったんだけど、その後はあやしい感じになって

たんだっけかなぁ。

今は、大井町は結構おしゃれになってきてますよね??

なぜ、「大井町から歩いても行ける池上」と書いたかというと、

大井町から蒲田まで歩いた帰り道、道に迷って池上本門寺に

出てしまったことがあるから。あのときは、ちょっと焦りました。

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