他人が話す言葉や文章を理解しようとするとき、殆どの場合困難が生じる。
このことは教育を受けている間に限らず、社会で働き始めてから一層問題となった。
小学校に入学して間もなく、昔堅気の初老の女先生に教室で平手打ちをされた。
宿題を多くやりすぎたからというのが、叩かれた理由だった。
人の話を聞いていないというわけだ。クラスメイト全員の前で壇上に立たされて叩かれ、
体の小さかった私は卒倒して一瞬意識を失った。
そのときは宿題を少し多めにやって誉められたい思いがあったので、必要以上に課題
をこなしたのだと覚えている。しかし、他人の意図が汲み取れない機能障害と考えると
誉められたい以上に自分の関心事に熱中しすぎたのかもしれない。
質問に答えられずにいつまでも立たされたりすることは、中学・高校時代まで続いた。
途中で何を質問されていたかすら忘れてしまい、そうなると意識が遠くに飛んでしまって
机の木目をじっと見つめて考えることを止めてしまうのだ。
普通の人と同じように説得しようとしても、私には効果がないのにという思いだけが時折
浮かぶ。何を考えているのかサッパリわからない生徒というのが、多くの教師の評価
だったろうと思う。
高校一年のとき、どういう経緯でか忘れたが、私の財布をある教師が預かって私の担任
へと届けたということがあった。担任は私に「(届けてくれた教師に)あいさつしておいて」
と告げた。私は財布を担任に届けてくれた教師のところへ行った。われながら信じがたい
が、そのときしなければならない挨拶の意味がわかっていなかった。
それで、「担任にあいさつをしてくるように言われたので、来ました。」と告げたのだが、
急にそんなことを言われた教師は「はてな?」と思うはずだ。担任が慌てて、財布を届けて
くれたお礼を言ってという意味だったんだよと知らせてくれ、私もハッとしたが遅かった。
一般的に通例とされる会話や言葉が、私には通じない。具体的に簡潔にわかりやすく
伝えなければ理解しあえない者と苦労を繰り返してつきあっても、相手はそれほど自分に
関心を持ってくれない、という人間関係を普通の人は続けようと思わない。それで、私には
何年も交際を続けてこられたような知り合いは一人もいない。
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