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ケルティック・ハープで伝承曲を演奏しています。最近は、路上や公園のベンチでのんびり弾くことも多くなりました。
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プロフィール

HN:
こと座
年齢:
56
性別:
女性
誕生日:
1969/03/07
職業:
ケルティックハープ奏者
趣味:
旅、読書、祭り
自己紹介:
ケルティックハープで、ケルト民族の伝承曲を中心に演奏活動を行っています。

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音楽を演奏するときも聴くときも、その曲の世界をイメージします。
私は大体どこかしらで見た景色の記憶から、自分の頭の中で
新しい世界の物語を作っていくやり方をしています。
これは子供の頃から自然にやっていたことなのですが、
私が音楽から作る世界は深い自然に囲まれていることが多いのです。
そこで、今日ふと思いました。
どこに行ってもいつも自分の居場所がないような気になるのは、
自然しかないような場所に、私はまだあまり行っていないからなのかもと。
だから、ずっと音楽の世界が生まれる場所を探し続けているのかも
しれません。
東京のような都会やちょっとした観光地ではクラシック音楽の世界を
想像できる心境にあまりなれないとしたら、ヨーロッパの超不便な
自然に囲まれたような場所に行ってそこの土地から感じられるものを
吸収できたら、何だかどんどんいい音を作っていけそうな気がします。

札幌に数か月住んでみたけれど、雪がなくなった札幌に面白みを
感じられなくなってしまったのは、アスファルトの道を歩いても音楽が
自分の中で流れなかったからなのかなとわかったような気がして
きました。
雪で覆われた真っ白な世界では、イマジネーションがどんどん
膨らんだんですけどねぇ。
また、雪国に住みたいな~。
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今週末から少なくとも数日間またPCを使えなくなるので、あれこれ焦って更新中です。
楽器を買うために、また東京でいくつか仕事をすることにしたのです。
それで土曜の午後に飛行機に乗るので、バタバタと雑事をこなしてます。
どういう風に考えれば、演奏でお金を稼ぐことを受け入れられるのか、
またしても悩みがピークに。
それを乗り越えられれば、いくつもの会社で365日働くなんてことしなくても済むのにな。
うぅむ。

さて、ベートーヴェンは10代からその音楽の才能によって家計を支えていたといいます。
パトロンとの主従関係で音楽を生業とすることを拒否したそうなので、生活は安定した
ものではなかったように思えます。
『敬愛なるベートーヴェン』で私が気に入ったシーンは、「沈黙が深まると魂が歌い出す」
とベートーヴェンが写譜師のアンナに告げるところ。
同じことを、私もよく心の深くで想像します。

前に働いていた会社の女上司から、私が大人になっても音楽を続けているわけがわから
ないとよく言われました。
彼女が育った家にはグランドピアノがあり、ピアニストを夢見て猛練習したそうです。けれど
ある日「成功するピアニストになんて世界で数人か数十人かしかなれないのだから、普通
に会社で出世したほうがいいじゃん!」と思ってピアノをやめたそうです。
そして、有名私立大学に入り→熱血ギラギラ上場企業でバリバリの営業ウーマンとなり
→留学しMBA取得→外資広告会社のマネージャーに転職→ディレクターに昇進…という
キャリアウーマンの見本のような人となりました。
私が就職するときの面接で、「こぉんなに人も羨むような有名企業を転々としてきたコツは
何ですか??」と聞かれたことから始まって、いろいろこの人に泣かされることが多かった
けれど、音楽なんかやめなよと仄めかされるのが一番苦痛でした。
音楽をずっとやっていた人がそんなこと言うなんて、悲しくて。
きっと私の子供時代より優れた技術を持っていたんだろうに、音楽の感動をあまり知らな
かったのかな...。
その会社では隣の席にも音大を目指してピアノをやっていたという子がいて、お金にならない
から音楽をやめたといいます。ぼちぼち会社で働いて、買物してお洒落して暮らしたい、が
口癖で、東京のど真ん中に住んで共働きをして、明日のごはんにも困るわけでもなく、毎日
キラキラの新しい衣装を着てくるのに、「共働きじゃないと暮らしていけない」と言う話をよく
聞かされました。
「お金を稼げないから音楽をやめる」とか、「趣味でいい」とか、どうして割り切らなくちゃいけ
ないのでしょうかね。
私は、音楽がないと、楽器弾かないと生きていけない気持ちになるから、音楽が好きだから
続けるしかないんだけど、音楽をやる人にはみんな音楽を愛してほしいなと思います。
お金と秤にかけて切り捨ててしまうようなことは、してほしくないよ~。

と、何だかまとまりのない記事になってしまいました。

ひさしぶりにシャルロット・チャーチ(の幼いころの天使の歌声)を聴いていたら
アンドリュー・ロイド・ウェーバーの『Pie Jesu』を歌っていて、ちょっと感動しま
した。
その流れでフォーレのレクイエムの『Pie Jesu』も聴き、あまりの美しさに溜息。
レクイエムとは鎮魂歌。死者の魂をなぐさめるミサ曲です。
ガブリエル・フォーレのこの曲はとても美しい旋律のため死の子守歌とも云われ、
演奏されることも多い曲です。
こんな意味の歌詞を歌い続けます。

憐れみ深き、イエズスよ
彼らに安らぎを与え給え
永遠の安息を

Pie Jesu Domine, dona eis requiem, dona eis requiem,
Pie Jesu Domine, dona eis requiem, dona eis requiem,
dona eis Domine, dona eis requiem,
sempiternam requiem,
sempiternam requiem,
sempiternam requiem,
Pie Jesu, Jesu, Pie Jesu Domine, dona eis, dona eis
sempiternam requiem,
sempiternam requiem. 

この曲はやはり人気らしく、ネットで検索すればたくさんの人が記事を書いて
いるので、機会があったら読んでみてください。
アンドリュー・ロイド・ウェーバー版の『レクイエム Pie Jesu』を聴きたい人は、You TubeにUPされている
ヘイリーの歌なんかどうでしょうか。
ヘイリー...顔が変わった気がしますが、やせたのかな。

あ~ やせたのかな...のところで、急にスティーブン・キングの『痩せゆく男を
思い出しちゃいました。呪いをかけられて手に穴が開くところが、苦手なんだよなー。手の平に穴をあけられて呪いをかけられるんだっけ...?
どっちにしても、こわいよ~。
きらきらひかるー おそらのほしよー

と歌われる『きらきら星』は、みなさんご存知でしょうか。

この曲は、18世紀に流行ったシャンソンだと云われます。

"Ah! Vous dirais-je, Maman" あのね お母さん』というのが

原題で、クラシックのコンサートなどで演奏されるときには

『ああ お母さん聞いてよ』と紹介されることもありますよね。

18世紀後半を生きたモーツァルトが、このシャンソンのメロディーを

変奏して、それが現代まで受け継がれ『きらきら星変奏曲』として

演奏されています。

子供の頃にヴァイオリンを習った人などは、必ずといっていいほど

この曲を習っていると思います。これを聴いて「美しい…」と感じ

ながら喜んで弾く子供はそうそういないと思いますけど、じっくり

聴いてみると心の琴線に触れる部分があったりします。


と書いたところで、よく使われる「心の琴線」という言葉について

考えてみたのですが、この言葉は辞書によると

「心の奥深くにある、物事に感動・共鳴しやすい感情を琴の糸に

たとえていった語」

だそうです。

ケルティック・ハープは竪琴の一種で、ハープという楽器は、

周囲の環境や設置物に大変共鳴しやすいのです。

「心の琴線」を英語で表現するときに、chord(コード=和音)と

いう単語が使われたりするように、心に触れるものが音楽に

関する言葉で表現されていると嬉しくなります。

私も、人の心に触れる音を奏でてゆきたいです。

昨夏乗って懲りた急行はまなすに、また乗ることになりました。
別の手段で札幌から東京に向かうつもりが、札幌で急用が入ったのでやむなく。
でも前に乗ったときと違って、シートのクッションがわりとしっかりしてたので助かりました。
札駅のホームではまなすを待っていたら、前に並んでいたおじいさんが後ろを振り返って
にっこりしてきました。なぜかこの晩、珍しく他人の話に乗った私。気をよくしたおじいさん
は(すでに酔っ払ってたみたいだけど)、お酒を買ってきて飲みなよと渡そうとするのです。
趣味でJRのおとく切符で旅行しまくってる人で、たまたま私が知っている鈍行の列車名の
話で共感したのか、楽しくやりたかったんだろうな。
ごめん。私はそこまでつきあってあげられる心やさしい女じゃないのよー、私と話しても
広がらないからつまらないしさ…。
ビールの500缶とワンカップのお誘いを断り、悪かったなぁと自己嫌悪に陥りました。
さすがに、電車の中で500のビールは…。

その後、青森から弘前回りの電車に乗った私は、うわーっという曲を聴きたくなり、
ベートーヴェンの交響曲をBGMにして東京まで戻りました。丸一日、ウィーンフィルの第九。
この曲を聴くと、人間が生まれてから味わう様々な世界が駆け抜けてゆく…ようなイメージが
わきます。
単純に、よくこんな曲を作曲できるよなーと感心仕切りの第九です
が、もちろんシラーの詩による歓喜の歌にも感動なのです。
ベートーヴェン、、、波乱に生きた人のイメージがあるけど、音楽に誠心誠意をこめて作曲に
懸けたんだろうな~。







































「ガラスの使徒」を見た話をしたとき、NHKの唐十郎さんドラマ

「匂ひガラス」の思い出も書いたと思います。

別のSNSでもそのドラマの思い出話を書いていたら、北海道に

来てからお知り合いになった方もそのドラマを覚えていてコメント

をくれたので、何だか気分が盛り上がりました

そして、やはりNHKのスペシャルドラマだった別のお気に入りを

思い出しました。

それは、唐十郎ドラマよりもっと前の幼い頃から見ていた

佐々木昭一郎さんの『夢の島少女』以降の中尾幸世さん出演作。

何度も再放送で見ていたような記憶がありますが、私の子供の

頃の記憶は普通の人よりかなり希薄なので、実際はそれほど

再放送されていないのかもしれません。

とにかく、中学生になった頃からの「川」シリーズには特に惹か

れたことを覚えています。自分も大人になったら、旅をしながら

楽器の調律をしたい...と憧れました。その頃はヴァイオリンを

習っていたので、主人公がヴァイオリンケースを持って旅する姿

を自分と重ね合わせたのでしょう。

東京で最後に働いていた会社は愛宕山のNHK放送博物館の近く

にあったのに、このビデオを見に行こう行こうと思いつつ行けず終い

でした。また見たいなー。
アルヴォ・ペルト(エストニアの作曲家)についてあまり知らな

かったのですが、ティンティナブリ様式というのは何かで読んだこと

があり、鈴(ベル)が打ち鳴らされた後の残響のような曲というその

様式に興味を持っていました。

そして、今日、少しそのことを知りました。

映画「埋もれ木」を見たら、アルヴォ・ペルト作曲のシルーアンの歌

が使われていたのです。

作曲家がテーマとする「祈り」とその作品にあらわれているという

「光線」を瞬間的に感じたような気がしたのは、映画の効果でもある

のでしょうね。とにかく、胸を打たれました。


「埋もれ木」は、現実と幻想の交わりや挟間を感じるような映画。

特にシルーアンの歌が流れだしてからラストまでは美しく、見ていて

自分の体に何か小さな芽がふくらんだような感じになります。

物語が膨らんであふれそうでもありながら、静かで厳かな雰囲気も

持つ町の人々の様子が映し出され、無垢な雰囲気でした。

亡くなった娘が通った小学校の教室で、小学生を前にもの静かに

語る建具職人の岸部一徳さんの話が、私は気に入っています。

ある日発見された埋没林を見て、娘を亡くして以降やめていた建具

の仕事をまたしたくなったという話です。

地底から発見された埋没林(埋もれ木)が何千年も生きていて

家具になってからも息をしているように、人が亡くなってもそれで

全てが終わったというわけではないのかもしれません。


埋没林といえば、富山県魚津市には2000年前の埋没林を展示した

博物館があるそうですね。

富山には知り合いがいて、去年の夏にはおわら風の盆を見に関東

から電車を乗り継いで行ってみたのですが、富山駅前の混雑ぶりに

臆して、おわら風の盆も見ず、ブラック・ラーメンを食べただけで

帰ってきました。時間はあったので、埋没林のことを知っていれば

見に行ったのに...。

そういえば、そのときは長年行ってみたかった福井県の恐竜博物館

にも行ったのですが、すごくお金がかかっていそうでした。

山の上の広い駐車場でバスを待つ間に越前かに弁当を食べていた

ら、気のせいか隣に座っていた人から憐みの視線が。

しかし、無理して休み取って行ってよかったなー。


そして、遺跡といえば、やはり昨夏東北をあちこち回ったときに仙台の

地底の森ミュージアムで2万年前の旧石器時代の遺跡を見たことを

思い出します。

ここも掘り進むうちに平安、縄文、の遺跡が発掘され、ついに氷河期の

焚き火跡が発見されたということだそうで、遺跡の上に博物館の建物が

建てられています。

私は中学受験をして美大の付属校に入ってしまったので、中学以降は

ほとんど勉強していなくて阿呆みたいなことばかり言ってますが、氷河

期というのは世界中が凍り付いていた時代のことだとばかり思っていた

ので、博物館で当時の発掘場所近辺のイメージ映像を見たときは、

ほぉと感じ入りました。

その頃は氷河により水の流れが止まったことで海面が低くなり、日本は

朝鮮半島やサハリンと地続きだったとか。植物や動物もずいぶん移動して

きていたそうです。人も?

ぬかるみの多い湿地帯だったようで、話に聞く雪どけ間もない頃の

サハリンが思い浮かびます。

2万年前の人には祈りなどは現代より身近なものだったろうと思いますが、

現代の音楽を聴いたらびっくりするでしょうね。

サハリン...行きたい。
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