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ケルティック・ハープで伝承曲を演奏しています。最近は、路上や公園のベンチでのんびり弾くことも多くなりました。
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プロフィール

HN:
こと座
年齢:
56
性別:
女性
誕生日:
1969/03/07
職業:
ケルティックハープ奏者
趣味:
旅、読書、祭り
自己紹介:
ケルティックハープで、ケルト民族の伝承曲を中心に演奏活動を行っています。

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発売されたときに立ち読みして読みたかった横山秀夫さんの『クライマーズ・ハイ』ですが、
私にはついていけない人間模様が描かれている気がして先延ばしにしていました。
でも今夏上映される映画にエンケン(遠藤憲一)さんも出ているし、やっぱりを読もうと思い直して
文庫を買ってきました。
ストーリーは、新聞社に勤める主人公の中堅記者・悠木が御巣鷹山航空機墜落事故の
全権デスクに任命され、組織の中で葛藤する姿を中心に描かれています。
御巣鷹山航空機墜落事故といえば、1985年に起こった日航機事故が思い出され、
それだけで胸が痛む人が多いのではないかと思うけれど、私はこの小説の中の
新聞社という組織にも胸が苦しくなるような気持ちになりました。
私は今年はじめまで広告会社に籍を置いて主に掲載クレーム処理を担当していたので、
個人が掲載する小さな利益の広告内容には厳しく、営業が取ってくる莫大な利益をもたらす
広告主の掲載広告には手厚く相談に乗ってあげましょうという対応を強いられてきました。
広告を掲載することに何か問題が起こる危険性があれば、小規模な広告主は有無を言わせず
切り捨てるように上司の一言か会議で決まり、フォローはなし。
そのクレーム処理は結局私に回ってくるわけだけれど、なけなしのお金を払って宣伝しよう
という小さな広告主への対応について相談しようとしても周りには相手にされないので、
自分は組織の中で働いていくのは無理だなと退職することにしました。

小説では、社内での激しいやりとりの末に悠木が社長の逆鱗に触れ地方に飛ばされながらも
そこで記者として筆を取り続けるという展開になります。
そういう生き方もありだなと納得させてくれるのは、なぜなのでしょうかね。

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タイトルを一見すると、オークションに出品されたヴァイオリンの銘器か何かかな
なんて思いますが、大富豪のロスチャイルドとは無縁のお話です。
アントン・チェーホフの小品なのですが、スラスラと読みやすい文章の流れという
わけでもなくて、それがまた田舎風の味わいを醸し出しているような気がします。

棺桶職人でヴァイオリン弾きの達人のヤーコフは、棺桶を作る仕事もたまにしか
入らず、結婚式などで演奏に呼ばれる機会も少なく、いつも仕事の機会を失った
損失勘定ばかりしているのですが、そうして落ち込んだ心をヴァイオリンを弾いて
癒す日々を送っていました。
あるとき年老いた妻が病気で倒れ、もう天に召されようという状態になります。
今の生活から解放されるという喜びに笑みすら浮かべ横たわる妻を見て、初めて
ヤーコフは自分を支えてくれた妻への仕打ちを思い浮かべ、医者のもとへ連れて
いきますが、もう手遅れということで、ヤーコフは妻の棺桶を作ることにします。
そうするうちに自分も助からない病気の身となったことを知ったヤーコフは、自分が
消えた後に残るヴァイオリンの行く末を思いやります。そして、ヴァイオリンをしっかり
抱きしめ、いいことがなく消え去った人生を思いながら弾き始めたのです。その音は
得もいわれず悲しげで心のひだに深くしみわたり、ヤーコフ自身の頬にも涙が伝い
ました。思いつめればつめるほど、ヴァイオリンは悲しく切なく歌うのです。
そこへ訪れたフルート吹き・ロスチャイルド。
彼はユダヤ人で、ヤーコフに貧相な音を出す笛吹きだと毛嫌いされ、いじめられて
いました。その日は、ヤーコフに仕事の話を伝えにやってきたのです。村で婚礼が
あり、ヤーコフの演奏なしではうまくいかないと。
ヤーコフは病気であることを告げ、涙を流しました。するとロスチャイルドはヤーコフ
の胸の上で手を組み、苦悩と悲しみの表情を浮かべたのです。それを見てヤーコフ
は抑えきれない歓喜を味わい、また違う涙を流しました。
そして、その晩、司祭に懺悔をしたときに自分のヴァイオリンをロスチャイルドに与え
てほしいと頼むのです。
それからロスチャイルドはヴァイオリンばかり弾くようになり、フルートのときとは
大違いの評判を呼びます。ヤーコフが最後に弾いていた曲を弾くときは、そのときと
同じように身を切られるようなわびしい音色がヴァイオリンから流れだし、それを聴く
人々は一様にむせび泣くのでした。そして、ロスチャイルドもまた曲が終わりにさし
かかると、ヤーコフが涙を流して叫んだ声と同じ声を出して泣いたのです。

というような話で、こんな音が出せる演奏ができたら、音楽家にとっては本望でしょうね。
アスペルガー症候群は、オーストリアの医師 ハンス・アスペルガーの定義に因んで
名付けられた症状で、自閉症の一種とされています。
私がこの機能障害を調べ始めて衝撃的事実らしきことを知ったのは、2006年秋。
どうやら2006年はアスペルガー医師の生誕100年にあたる年だったようで、国際
アルペルガー年が制定され、世界のあちこちでイベントが開催されたらしいです。
だからこそ、皮肉なことにアスペルガー症候群の存在を私も知ってしまったのかも
しれません。

この症状は知的障害のない自閉症といわれ、想像力の欠如(状況や場を読むことが
困難である)、コミュニケーション能力の欠如、特定の興味分野への固執あるいは
無関心、などが大きな特徴としてあげられることが多いですが、さらに細かな面では
人によってそれぞれ症状が異なります。たとえば、極端にマイペースで他人に無関心
決して目を合わせられないほど人見知りが激しいアスペルガーの子供がいる一方で、
あまりにも一方的に他人に話しかけ不必要なほど相手の目を見つめるアスペルガー
の子供がいたりもします。ある特定の分野に天才的能力を発揮することもあり、アイン
シュタインなどはアスペルガーだったのではないかといわれることもあります。
アスペルガー症候群は幼少期から症状が現れ、困難を伴うことになる脳の機能障害
は努力により妥協的な解決策がないわけではないとはいえ、医学的な解決策はなく
一生のおつきあいとなるようです。
この症状を持っていて困る点は、アスペルガーではない一般の人が当たり前にできる
判断やコミュニケーションができないという問題以上に、そのような問題を抱えている
ことを周囲が理解するのが難しく、基本的な社会生活を営むうえで苦労を強いられる
というところが大きいと思います。

『モーツァルトとクジラ』では、共にアスペルガーの著者であるジェリーとメアリーが
幼少期からアスペルガーであるがゆえに経験した事柄が記され、2人が出会い恋愛
を経て夫婦となり、やはりアスペルガーが原因となって離別し苦悩した後、再婚する
様子を読むことができます。なるほどなるほどと読み進むと、ラストに近くなるページで
ジェリーからのアスペルガー症候群の人へのメッセージがあります。いくら本を読んで
も何の慰めにも励ましにもならないと思ってきた人にも、このメッセージは時に効果を
発揮するかもしれません。他人の言葉や物事をそのままに受取り信じ過ぎて傷ついて
きた人、正直すぎるということで責められてきた人も、そんな部分こそ愛してくれる人と
ひょっとして出会えるのではないかという希望が少し持てる可能性があるので、読んで
みてほしいです。そういう愛を自分の体が受け入れてくれるかどうかはともかくとして。

この本は八坂ありささんという方が翻訳をなさっていますが、アスペルガーの心情を
とても適確に表現している気がしました。
映画は見ていませんが、主演のジョシュ・ハートネットは原作の著者ジェリーに電話で
「あなたの役をやることになれて、とてもうれしい。」と伝えたそうです。それ以前にこの
話の映画化権をスピルバーグとロビン・ウィリアムスが絡んで買った一件でジェリー
夫妻にとって不愉快な出来事も起こったことが記されているため、ジョシュ・ハートネット
の言葉に格別に心を揺さぶられました。
文庫版『心臓を貫かれて(下)』で目に止まったページは、『涙の谷間(Valley of Tears)』
の詩が載せられた箇所でした。

連れて行ってくれ 
私のいるべき場所に
口づけや歌に
心破られるところに
そこで私は、誰の心に触れもせず
この一生を終えよう
誰もが私をわかってくれる
涙の谷間に

優しい言葉が
甘く密やかに耳に届く
でも心に決めたのだ
愛に別れを告げようと
そこで私は、誰の心に触れもせず
この一生を終えよう
誰もが私をわかってくれる
涙の谷間に

1950年代にヒットした洋楽だそうですが、ゲイリー・ギルモアが一時期気に入って
よく聴いていた歌ということで触れられています。
詩だけ読んだときは、愛に失望を繰り返した人が涙の谷間という場所に行こうと
決意したという(そのまんま...)思いが静かに伝わるような内容に感じられました。
長年の苦しみに耐えて行き場を探していた人がやっと見つけた場所、それが涙の
谷間という場所だと教えてくれるような印象を持っていたら、曲を聴くと何かちょっと
違う感じ。
涙の谷間というのは聖書にある嘆きの谷のことで、辛い辛い現世(別の世がある
かどうかはともかくとして)を意味する言葉だと思っていたので、それをこの詩に
あてはめて考えると『心臓を貫かれて』で引用されたわけはこんなことかなと思った
のです。
子供時代に家族という社会に混乱した人が、成長して愛や幸福がこの世に存在
するかもしれないと知り、しかしやはり失望して行き場をなくした心が更に混乱し、
自分がいられるところは世間で愛や幸福があるとされる仮初の場所ではないと
気付き、涙の谷で一人悲しみを引き受けようと心の底から決意する。

行き場がなくなると、人は死という未知の世界を選択肢に思い浮かべるかもしれま
せん。ゲイリー・ギルモアも、その一生のほとんどを苦しみから逃れたいともがいて
いたのではないかと思います。けれど、ゲイリーが苦しみ暴力で周囲を破壊した後
に死刑執行を嘆願した一方では、兄のフランクや弟である著者のマイケルが似た
苦しみを味わい失望を繰り返し、現世の涙の谷を行くしかないと気付いた事情が
あり、そこここで待ち構える悪意の罠に人はどうして怯えて苦しめられ続けなければ
ならないのか、途方もない悲しみが書かれているのがこの本だと思えるのです。
人によって感想が異なるでしょうが、もっとたくさんの人に読まれ続けるべき本では
ないかと思います。

ゲイリー・ギルモアが自ら死刑執行を嘆願し処刑された一件は、7~8歳だった私の
記憶にも残っています。私は一種の自閉症で学校では授業にもクラスメイトにも教師
にさえほとんど無関心でしたが、アメリカで何年も行われていなかった死刑執行が
ゲイリー・ギルモアに行われるか否か、彼が自らも望んだとは知らなかったものの
この人が殺されませんようにと真剣に祈って友達にも死刑は嫌だと訴えた覚えが
あります。私が噂に参加するということは珍しかったので、友達にもそれまでの私と
少し違う印象を与えたかもしれません。
ゲイリー・ギルモアが銃で処刑されて以来アメリカでは死刑執行が再開し、日本でも
最近は死刑執行が通例となるきらいがあります。私にも一人だけ殺意を覚えた人が
いますが、大切な人を傷つけられてその報復に犯人を殺したいくらいだと言う人や
死刑で死んでもらうしか罪を償ってもらう方法はないと言う人を見ると、いつもわから
なくなります。人が裁かなければこの世は収集がつかなくなるという考えがあると
しても、罪とされるようなことを犯した人には他人が裁くよりもっと重い罰がどこかで
科されているんじゃないだろうかと思うのです。殺したいほど憎い相手がいても、憎
しみが増え続けていく世の中には決して平和は訪れないのではないでしょうか。
私は、憎しみが渦巻く家庭で育ち、家族が自然に笑い合ったり信頼できる愛情に
触れるという機会を逸しました。昔から愛情がある世界は別世界のことと当たり前の
ように思っていたし、もう一生知ることのない世界なんだろうというのが今行きついて
いる考えだけれども、未だに人が言い争う声をかすかに聞いただけで落ち着かなく
なる癖があり、世界が平和になってくれればとずっと思い続けています。どうしたら、
人は他人に責任転嫁する方法ではなく悪意を片付けることができるのでしょうか。

ヴァイオリニストの五嶋みどりさんのお母さんである五嶋節さんが書いた本
『雨の歌』を暇つぶしのつもりで読み返してみました。
この本は、才能ある芸術家で国際的に活躍する人が大好きな母親(皮肉です)
に贈ったもので、親の家に置いてあるのです。
今回泊めてもらったときに、読みました。

よほど向いていないということでない限り、子供を職業音楽家に育てるという
作業は可能なんだなと私は思えたのですが、当然リスクはつきもので必要な
リスクをみどりさんが受け入れて乗り越えようと努力したことにより成しえた
現在の栄光なのでしょうね。
五嶋みどりさんの弟の五嶋龍君は幼い頃からその成長ぶりをテレビ番組で
放送され、今ではJRというビッグなスポンサーのCMに出演する人気ヴァイオ
リニスト。この人やフジ子・ヘミングの演奏姿を見ても思うのは、音楽活動で
スポンサーやお金を得るには「何かを動かせる人が現れる場所で演奏を聴い
てもらう」ことがいかに重要かということです。
はじめはたった一曲の協奏曲を音程もリズムも外しながら(勿論時折)弾いて
いても、きちんとしたコンサートホールで聴く耳を持った人の前で演奏すること
により芽生えたものを育てていくことで、テクニックや音楽性が磨かれる場合
もあります。

本自体は冗長な文章が続くので途中で投げ出したくなったりするのですが、
この方が支えて動いたからこそ五嶋みどりさんがアメリカデビューを果たして
世界的に有名なトップ・ヴァイオリニストの一人になったという事実は否めず、
プロの音楽家になるための必須事項がこの本には含まれていると感じます。
音楽好きなお子さんを持つお母さんは、読んでみてはいかがでしょうか。

タイトルの『雨の歌』は、ブラームスのソナタのタイトルから取られています。
お母さんとのある交流から、みどりさんがこの曲を好んで弾くようになった時期
があったという逸話が書かれています。

Monday's child is fair of face,
Tuesday's child is full of grace,
Wednesday's child is full of woe,
Thursday's child has far to go,
Friday's child is loving and giving,
Saturday's child works hard for his living,
And the child that is born on the Sabbath day
Is bonny and blithe, and good and gay.

月曜生まれの子は器量よし
火曜生まれの子は品がよい
水曜生まれの子は苦悩が多い
木曜生まれの子は遠くへ旅立つ
金曜生まれの子は気前がよい
土曜生まれの子はあくせく働く
そして安息日に生まれた子は
かわいくて陽気、親切でほがらか

マザーグースの詩によると、木曜生まれの子供は遠くへ旅立つそうです。
民間伝承ですね。
童話『木曜に生まれた子供』に登場する少年フィンは、母親が末子を出産した
途端、家族が住む家の地下に穴を掘り始め、そこで暮らすようになります。
もともとなつかない子供だったフィンの行動に母はその存在すら忘れてゆき、
フィンを特に気に入って可愛がった父は仕事の失敗から自滅してゆき、一家の
暮らしを支えるために地主の家に奉公に出た長女は地主に手ごめにされ…
と、とても童話とは言い切れない悲惨な物語をこの一家の次女が語ります。
実は旅の途中で読み終えて、その後いろいろと自分の重大な問題を考えて
いたせいで、この話の結末を忘れてしまったのですが、木曜生まれのフィンは
やはりマザーグースの言葉通り家族の知らない所へと旅立ってしまうことに
なったのだとおぼろげな記憶があります。あるいは、家族の近くに存在して
いても、人の目に触れることがなくなったとか。
ラスト目前に家族にそれまで以上の大打撃を与える事件が起こり、その後に
この物語の重要な鍵となるような言葉が出てきたと思いますが、詳細を覚えて
いません。ただそこに至ってはじめて、この物語が絶賛されたわけがわかった
気がします。
舞台はオーストラリアで貧しい田舎暮らしを始めた一家の話ですが、少し空気
感が似てると思ったのが、映画にもなった『ローズ・イン・タイドランド』。
あちらの方がクレイジーな発想でワクワクさせられますが、こちらは平凡な一家
が巻き起こす悲劇に次ぐ悲劇の中で少女がタフで自由な発想をしているところ
に共通点があってイメージがダブるときがあります。

この本、図書館の児童書コーナーにあったんだけど、これを読破して感じ入る
子供はとても繊細な子だと思う...でも、こういう本を読んだりすることでもタフに
育っていくのかなぁ。

ギリシア語の「全て(holos)焼く(kaustos)」を語源とする、ホロコー
スト。私の中でのホロコーストのイメージは、ナチスによる大虐殺
です。
ポーランドやドイツにいくつ絶滅収容所が建造されましたが、戦後
の一時期にはナチスによる迫害がなかったかのようにその場所を
整理しようという動きが起こりました。しかし迫害を受けたユダヤ人
などからの抗議が殺到し、それらの収容所跡を悲劇の形見として
残すようになったそうです。
日常的に家族や隣人が狂気を潜ませ悲劇を起こし得るのが人類の
性なら、それを無視したり肯定することで二度と悲劇を繰り返すこと
のないように、このような遺物を前に偏見や憎悪を持つことについて
考える機会を持ち続けるのは大切です。

憎しみによる争いは幾世代にも渡って悲しみしかもたらさないので。

『ホロコーストの跡を訪ねる』
荒井信一・文 山本耕二・写真
草の根出版会
世界自然遺産に登録されている英国のセント・キルダ島は、絶海の
孤島であるがゆえに「この世の果て」と呼ばれていたそうです。

『英国セント・キルダ島の何も持たない生き方』を読みました。
何度も図書館で見かけたことのあった本ですが、想像と違った内容
で意外でした。
今、セント・キルダ島は無人島だそうですが、昔は素朴な人々が
昔ながらの生活を送っていました。島外から島の豊かな自然を利用
しにやってくる訪問者を非難することもせずもてなし、自分達が土地
の不作で飢え死にしそうになったときには援助を求めるメッセージを
書き付けた木切れを海に流し続け、島で人が生活を送ることが最早
困難になった最期には島を出る費用すらないため英国政府にその
費用を求める嘆願書を送り、三十数名の島の人すべてが英国に移り
住んでからは島に戻りたくて涙を流した人達が暮らした島がセント・
キルダ島です。

興味を持った方は、読んでみてください。
マイケル・ギルモアの『心臓を貫かれて』を再読中です。
文庫版は上下巻に分かれていて、上を読み終えました。
これは、殺人刑で自分の死刑を求刑した著者の兄 ゲイリー・ギルモア
とその家系の悲しい歴史を綴った話なのですが、決してこの家系の
血にのみ問題があったということではなく、似た境遇に育った人間なら
誰しも同じ悲劇を起こしうると私は思っています。

この本が日本で発売されたとき、村上春樹の翻訳だからという以外に、
タイトルを見てある直感があり、すぐに読みたくなりました。
でも読むのがこわい気持ちもあったから、実際に読んだのはある日
図書館で見つけてからでした。そのときの感想は、「ああやっぱり」と
いう漠然とした共感だったかなと思います。最も愛する身近な人達が
憎しみ合う姿を見て、存在するだけで疎ましいと殴られる環境に育つ
ことがどんな影響を後の人格に及ぼすか。そこに共感したのかな。
ただ、ゲイリー・ギルモアがなぜ犯罪を犯し続けるのかがそのときは
わかっていなかったかもしれません。
暴力や憎しみのはびこる中で成長した子供が一生抱え続ける困惑や
悲しみについて、どうやって生まれて根付くものなのか、読んだ人が
それを知ることで世の中の争いを少しずつでも減らしてくれればいい
のにと思わずにいられないのは、傲慢でしょうか。
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BrownBetty 
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