最近、ほぼ毎晩2時過ぎに寝ています。起床は6時台(目が覚めちゃう)。
別に眠れないわけじゃないので、猛烈の手前くらいに眠いです。
今日の札幌は、快晴。
花粉の時期に外に出ると、女性は口紅やリップをつけた唇に花粉がつき
やすいんじゃないかと思うのは考えすぎでしょうか。粉っぽいんですけど。
さて、昨晩は楽譜の整理をしてライブの曲順をウンウン唸って決定した後、
市川崑監督の
『ビルマの竪琴』を鑑賞しました。56年版ですよ~。
三國連太郎さん演ずる隊長が率いる日本軍の一招待がビルマの山奥で
小休止中に合唱するシーンから始まって、歌なんか歌って敵に見つかり
はしないかと心配になりますが、この小隊は歌で絆を固めているわけなの
です。そしてある村に食べ物を求めて立ち寄ったときのこと...村人からごち
そうや歌と踊りの歓迎を受けてお礼に自分達も歌を…と隊長が立ち上がる
と、村人は皆無言で席を立ちそれぞれの家に帰ってしまいます。もてなし
は敵の戦略だったのかと思いついた隊員達は外に置いてきた武器や火薬
を乗せた荷車をどうにかして取りに行かねばと、歌を歌い踊りながら荷車
まで近づきます。そして、隊の中でも竪琴の名手であった水島上等兵が荷
車の上に乗り、合唱の伴奏として竪琴を奏でます。歌いながら小屋に逃げ
のびた隊員達は、小屋の外から聴こえてくる英語の歌声を耳にします。
それは、米兵達が小屋に近づきながら合唱する歌声でした。その歌は、
『埴生の宿』。ここで、思わずぽろっと涙が
実は、この2日前に日本軍は
降伏宣言をしていたのです。
その後小隊は捕虜となり収容所で生活を送っていましたが、一方では終戦
を知らずに抵抗を続ける日本軍の小隊もありました。三國連太郎さん隊長は
山にたてこもり抵抗を続ける小隊の説得をイギリス軍より命じられます。そこ
で隊長が説得に向かうように指示するのが、水島上等兵。彼は竪琴を背負い
小隊がたてこもる山へと出発します。しかし説得はかなわず、小隊は英軍の
砲撃に全滅。水島上等兵も行方不明になってしまいます。
ある日隊員達は、オウムを肩にのせて歩く水島にそっくりなビルマの僧侶を
みかけます。しかし声をかけても、僧侶はうつむいて立ち去ってしまうのです。
収容所に果物などの物売りにやってくる北林谷栄さん演ずる老婆の話から
事情を推察した隊長は、件の僧侶が肩にのせていたオウムを譲り受け、その
オウムに「ミズシマ!イッショニ、ニッポンニカエロウ!」という言葉を教え込み
ます。そのあたりも、結構ぐっときます。
実は水島は、全滅した日本軍の小隊の屍を前にして、彼らの屍を残して日本
に帰ることはできないと、ビルマの僧院に修行に入り僧侶となっていたのです。
収容所の日本兵達も2日後に日本に帰還できることを知らされた日、隊長は
言葉を覚えこませたオウムを僧侶となった水島に届けてくれないかと、物売り
の老婆に預けます。そして隊員達も水島を呼び戻すために何かできることは
ないかと、収容所の鉄条網から外に向かって日本の歌を合唱し続けます。そ
こへ現れた、僧侶の水島。隊員達は彼に気付き『埴生の宿』(荒城の月だった
かも)を歌い始め、その歌を聴いた僧侶の側についた子供が竪琴を奏でました。
思い余ったように、子供から竪琴を手元に引き寄せ弦を弾き始める水島に、
隊員達は「一緒に日本に帰ろう!」と叫びます。それを聞いた水島がうつむき
弾き始めたのは、『蛍の光』。水島は、もう日本には帰らない決意を固めていま
した。
いよいよビルマを発つという日、物売りの老婆が収容所を訪れ、あのオウムと
水島からの手紙を置いていきます。オウムは、水島が覚えこませたのか、彼が
悩みつぶやき続けた言葉が記憶されたのか、隊長が教えたのとは別の言葉を
喋るようになっていました。そして、日本に向かう船の中で、隊長が水島からの
手紙を開封し、隊員達の前で読むところでラストとなるのでした。
『蛍の光』は原題を『Auld Lang Syne』というスコットランドの民謡で、別れ際に
再会を誓って歌われる歌です。水島の場合は再会の誓いの意味があったかど
うかわかりませんが、きれいな和音で竪琴が演奏されるので、是非この映画
で聴いてみてくださいね~。
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